TOMOKOが出来るまで~10代(12)
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TOMOKOが出来るまで
10代
大学時代~再会~
語学研修に参加しているからといって、「一生懸命勉強して中国語をマスターするぞ!」と全員が思っていたわけではありません。
最初はそう思っていたかもしれませんが、いつまでたっても中国語はできるようにならないし、授業で先生が言ってることはわからないし(うちの先生は面白かったけど、他のクラスはなんだか荒れてる模様でした)、で、授業をサボる人が増えていたようです。
中には、全く授業に出席しないで旅行に出ちゃうツワモノもいて、クラスによっては出席者の方が少ない、なんて事態も発生したとかしないとか。
そこで、「いっそ授業を休みにして(通常は月~金の午前中はすべて授業)、旅行期間にしよう」という案が出ました。
その一環で、希望者のみ参加で、天津の南開大学に行くことになったのです。
もちろん、私も参加しました。
A先生(仮名)は、今年もうちの大学のサマーセミナーを担当していたので、歓迎のランチ会で再会することができました。また、食堂の女の子も働いていたので、涙の再開を果たしました。
A先生との会話は相変わらず「何を言ってるか」は聞き取れなかったけど、「何がいいたいか」はなんとなくわかる感じでした。
当時、南開に参加している学生と、北京から行った学生が合流して、何か歓迎宴的なことが開かれるようでした(確か日帰りだったので、滞在時間は3~4時間ほど)。食事の後、A先生に呼ばれて行くと、「(引率の)先生には話してあるから」とかなんとかいわれ、天津の「食品街」というところに連れて行ってもらいました。
二人でデート(笑)
コレ、今考えると相当な大問題だよなー(笑) と。
相変わらず会話がほとんど成立しないのですが、「何か買ってあげるから、欲しいものいいなさい」と(笑) しかも場所が「食品街」なので、「飴がいい? お菓子がいい? 」と。パパかー!!!
当時の中国のお菓子をそこまでオイシイと思えず…。しかも消えモノはもったいないし。本とか辞書とかが欲しかったけど、高い。しかも食品街には売ってない…。
さんざん悩んだあげくに出した答えは「晩報(夕刊)を買ってください」と。
先生はすっとんきょうな声で「わんぱおっ(=「晩報」の中国語発音)?!」と叫びました(笑)
当時の私の語学力では、本を買ってもらっても読めないし、お菓子はおいしくないし(失礼!)、かといって、服とかってのも違うし…。
「晩報」は、タブロイド判で安いし、しかもネタがわりと世俗的なものが多く、初学者にも良い教材と言われていました。街で売ってるので、売り子さんに「晩報ください」って言って売ってもらうんだけど、そのハードルが高い(笑) 価格表示もなかったし。
ってコトで、「勉強したいから」と説明したら、ニコニコしながら晩報を買ってくれました。当時の日本円の感覚で5円ぐらいだったかな。今の感覚だと50円ぐらいだろうか。
確か、この時もそれほど流暢に会話ができた記憶はないのですが、それでも前の年よりは、「自分がいいたいことを相手に伝える」ことが出来ていたのではないかと思います。
先生がとにかく喜んでくれて、「まだまだ」なレベルながらも「がんばって良かったな…」と思ったのでした。
先生とはその後もしばらく文通していたように記憶しています。
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