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TOMOKOが出来るまで~10代(10)

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TOMOKOが出来るまで

10代

大学時代~中国へのA先生との出会い~

 私は、人生の転機で必ず「恩師」といえる方に出会い、導いてもらったと思います。

 

このブログには全く登場しませんでしたが、中学の時の教頭先生も多大な恩を受けました。

 

とても厳しい方で、直接褒めてもらった記憶は全くありませんが、この先生のおかげで、大学受験の時まで通用する「国語力」をつけていただきました。

 

高1の時のクラス担任が、冬期講習を勧めてくれたおかげで、私は早めに大学受験の対策をとることができました。このクラス担任はその後も活躍してくれるのですが、それはまた後のお話。

 

大学時代の恩師といえば、天津の南開大学でお世話になったA先生(仮名)でしょう。

 

私たちの大学のサマーセミナーで私のクラスを担当してくれました。

 

天津に到着して、おそらく当日だったかと思うのですが、全員(約30名)が小講堂か講義室のようなところに集められ、開講式のような小さな式典が行われました。

 

中国ではこういった外国人の学生が来ると、専門のチームが組まれ授業を担当します。日本ですでにクラス分けが行われていたのですが、前年度の経験から、現地で再度クラス分け試験が行われることになりました。

 

試験の内容は全く覚えていないのですが、私はどういうわけか一番下のクラスから、一番上のクラスに変更になりました。1から10まで数えられない私が一番上のクラスって、他の人はいったいどういう状況だったのでしょうか???

 

授業が始まると、それはそれは悲惨でした。まず、「〇ページを開きなさい」っていわれるんですけど、1から10まで数えられない私が聴きとれるわけがありません。

 

毎回、「どこ?」とクラスメートに聴いていました。授業中も全く聴き取れないし、質問されても答えられた記憶がありません。それでもそのクラスに居続けたのは、「出て行け」といわれなかったコトと、担任のA先生が大好きだったからです。

 

A先生は、いつもニコニコしていて、優しくて、かわいいおじさんでした。

 

1ヶ月間の授業が終わるまで、とにかく「中国語」はまったく聞き取れるようにならなかったけれど、A先生がおっしゃっていることだけは、なんとなく意味がとれるようになっていました。

 

最後の授業が終わったときに、A先生がカセットテープを数本持って来てくださって、「テキストの音声教材だから、帰国したら勉強しなさい」とおっしゃいました。

 

当時、音声教材は本当に貴重でした。今は市販の語学テキストにCDやダウンロードのMP3がついてるなんて当たり前ですが、当時は2000円から3000円ぐらいの教材(人気が無くて出版部数が少ないので単価が高い!)に、別売りのカセットテープ2本5000円とか当たりまえでした。とても大学生が買える値段ではなく…。

 

私は、A先生が大好きだったのに、午前中の授業が終わると復習も予習もせず、自転車(滞在中、1人1台貸出されました)に乗って街にふらふら遊びに出かけるばかりでした。

 

もっと勉強すればよかったなー、という後悔もあり、帰国後、A先生や、食堂で働いていた同い年の女の子に手紙を書いたりして、文通を続けていました。

 

もう、二度と会えないのかもしれない…と思うと、寂しくもあり、一方ではまた会えるような氣もしていたのです。

 

 

 

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