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TOMOKOが出来るまで~10代(8)

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TOMOKOが出来るまで

10代

大学時代

当時、四年制の大学に進学する女子がまだそこまで多くなかった頃。

法律学専攻という進路もかなりめずらしかった時代。

 

 

 中学・高校と女子校で過ごして来た私は、大学に入ると男女比が逆転(…というか、初めて校内に男子がいる状況に)、男子9:女子1の生活を送るようになりました。

 

…ってゆーと、「モテたんじゃないか」とか「お姫様扱いされたんじゃないか」と思われるのですが、現実は全くそんなコトはなく。

 

 

あ、一部の可愛い女の子(のちに私の親友となる)は、めちゃくちゃモテてましたけどね(笑)

 

 

「世の中、可愛い女子は得!」というキビシイ現実を思い知ることになります(爆)

 

当時はもちろん、「可愛い女子」の中に自分は入っていません。

(まさか、50代になって「可愛い女子」カテゴリーに入れていただけることになるとは、当時は1ミリも想像していませんでした)

 

それなりに恋愛的なことも経験したり、楽しい大学生活でした。

 

なんといっても一番の変化は、それまで「優等生」だった私は、初めて「下から数えた方が早い」存在になったコトでした。

 

大学受験の成績は、合格最低点の1点か2点上の超スレスレだったそうです(高校の先生が教えてくれたけど、褒めたかったのか、disりたかったのかw)

 

「可愛い女子」じゃないから、何やっても目立たないし(笑)、(成績良くないから)「成績良いからね~」とかいわれないし。

 

今振り返ると、大学時代、全く勉強の仕方がわからず、「がんばって勉強した」つもりでも、試験の成績は「良」とか「可」(;^ω^) 「優」の数がホント少ない、「出来ない」ヤツでした。

 

中部地区の私立大学で、中堅より少し下(当時)。その中でもぎりぎりで合格していた私は、初めて「実力相応」の扱いを受けることになり、自分の人生の中で初めて「ラクに呼吸ができた」時代だったような氣がします。

 

 

あまりに弾けすぎて、なかったことにしたい過去なんかもありました(笑)

 

当時、サークルで「校内でミニFM局を立てて、昼休みに放送する」というのがあって、そこに入っていたのです。今考えたら…いや、2年の途中で退部したのですが、退部して以降「何やってたんだ(;^ω^)」と恥ずかしくて、なかったコトにしてました。

 

 

放送部的なことに憧れがあったのですが、そこでもやっぱり「壁」というか、タレント事務所に所属していたり、アルバイトでイベントMCをやったりしている美人の同級生がいたのです。彼女は、卒業してから一旦証券会社に就職するのですが、数年で退職。その後名古屋のFM局の仕事をしたり、ブライダルやイベントのMCさんになりました(多分、今もやっている)。

 

 

私の人生の中で、「何をやっても、誰か(または何か)が立ちはだか」って「諦める」というパターンを繰り返していました。

 

 

大学時代で一番思い出深いのは、2年と3年の夏休みに大学からサマーセミナーで中国に行ったことでしょうか。

 

この2回の渡中は、その後の私の人生に大きな影響を与えることになります。

 

 

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