「収録こぼれバナシ」について
ホンマルラジオ愛知【TOMOKOのあなたの野望を聴いてみ隊】は、30分のインターネットラジオです。
「ラジオ」というからには、音声で流れるワケなんですが、それだけじゃつまんないなぁ~と思い、収録後に動画を撮影し、TOMOKOが編集して、youtubeにアップロードしています。
googleか、youtubeで「収録こぼれバナシ」と検索してみてください。
「〇〇〇収録こぼれバナシ」(〇〇〇 は放送回です)というタイトルで動画が出てきます(何件かアップロードできていない回があり、申し訳ありません)。
例えば…youtubeのリンクを使うと…
こんな風にHPやブログに埋め込むことができます。
また、動画の説明欄に番組URLと、番組紹介ページに掲載させていただいているSNSやURL等を掲載しました。
リンクをクリックするとそのページに飛びます(↑ は画像なので、リンクをクリックしてもサイトに飛びません)。
30分のラジオ番組を聴くには「ちょっと気合が必要」な関係性の方でも、3分~5分ほどの動画(初期の頃は10分超のもあるんですが…)は、とっつきやすいと思います。
知り合いが出てるとついつい興味が出て、みたくなるものなのでぜひぜひ「宣伝・告知」に使っていただければと思います。
ちなみに…「収録こぼれバナシ」の再生リストはコチラ
↓
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【第49回】ゲスト「女性の美と健康で社会貢献をめざす」体幹・美尻トレーナー、ダンスインストラクター畑山未宝さん
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今回のゲスト、体幹・美尻トレーナー、ダンスインストラクター畑山未宝さんの野望は「女性の美と健康で社会貢献をめざす」
現在、体幹・美尻トレーナー、ダンスインストラクターとして活動されているみぽりんこと畑山未宝さん。心身共に健康で美しい女性が笑顔でいることが社会貢献である、といいます。
ご自身も二児の母であり、女性であるみぽりん。すらっとした長身でスタイル抜群の切れ長美人さん。TOMOKOから見ればうらやましいほど恵まれた容姿のみぽりんですが、子どものころからそのスタイルがコンプレックスだったのだとか。
長身であるがゆえに、女子の中では「重い荷物を持ってあげる、高いところのものを取ってあげる」など「男性的役割を負わなければならない」と思い込んでいたみぽりん。
ある時、「自分の女性性」と向き合うことで、「甘える」ことを自分に許可します。すると、今まで知らず知らずに自分が演じて来た「役割」がいつしか負担になっていたことに気づきました。
体幹トレーニング・美尻トレーニングを行う中で、多くの女性が自分の体形・体格に何らかのコンプレックスを抱いていると感じたみぽりん。トレーニングを続けると、必ずカラダは変化します。自分の身体と向き合うことはイコール自分の身体を愛し、ひいては自分を愛することにつながるといいます。
シニアトレーニングの受講生さんと触れ合うと、戦前生まれの方のお元気な姿に驚くそうです。戦後の文化・食生活の変化から、日本人の体質も変化して来たのではないかと思うようになったのだとか。。
いわゆる「筋トレ」ではなく、なぜ「体幹」「美尻」なのか??? そこにあるみぽりんの「思い」とは? みぽりんが大切にしたい「女性性」というキーワード。ガチガチになっていたみぽりんが、ふと肩のチカラが抜けた瞬間とは…??? …詳細は、ぜひ放送で!
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奇想の系譜展と憧れの人
会いたい人にやっと会って来た。
人っていうか、作品。
何年前だったか、名古屋ボストン美術館でふら~っと行ってみた曾我蕭白展で、運命の出会いを果たした。
以来、大の蕭白ファン。それまで絵画にそこまでの「思い入れ」はなかった。
年に1度か2度あるかないか…蕭白の作品に会えるかどうか。それも、どの作品に会えるか…。去年は、名古屋ボストン美術館のラスト展示に1作品かかっていたキリで、昨年あった展示会は気づけば終わっていて、涙を呑んだ。
今回は、「奇想の系譜」という書籍に基づいた展示ということで期待できる。
2月から始まるもなかなかタイミングが合わなくて行けなかった。
終盤ぎりぎりにようやく行けた。
初めての東京美術館。
隣には上野動物園。
上野公園付近には、美術館や博物館が隣接していて、3軒くらいならハシゴできそうだ。
ほぼ朝イチで入場し、地下1Fの2番目に蕭白の作品が位置していた。そこで20分ほどを過ごし、階上へ上がるエスカレーター付近にいた係りのお姉さんに「また戻って来れるか」を確認。まずは1階の展示室へ(あまり記憶がない…)。さらに上へ2階の展示室は国芳が。
ふむふむ…と見た後、エレベーターで再度地下1階へ。蕭白の作品のうち、三重県のお寺にあるという「雪白童子」は、今後の作品展示の予定がなく、お寺でも展示の予定はないらしい。次にいつ会えるかわからないので、しっかりと目に焼き付けておく。
蕭白作品群の今回のメインと思われる群仙図屏風は、蕭白の作品集では表紙になったりしているし、色鮮やかでとても奇抜で、人々をくぎ付けにしていた。…つまり、ちょっと離れたところからは、下半分は人に隠れて全く見えない。
私は少し離れて全体像を眺めるのが好きなんだけど、今回「群仙図屏風」だけは、それができなくて残念。
隣の「雪白童子」は何度か目の前が開けたのだけれど…。
今回驚いたのは、「美人図」だった。
初めて見たのかどうか覚えていないけれど、上村松園さんの「花がたみ」に主題が似ている気がした。
上村松園さんの「花がたみ」に対峙したとき、涙が流れた。絵を見て泣いたのはこれが初めてだった。
今回蕭白の「美人図」に対峙したとき、一瞬あの時と同じような感情になった。
ところがしばらくすると、違う感情が流れ込んで来た。
松園さんの「花がたみ」の時には、本当に悲しくてかなしくて、やりきれないといった感情だったのだ。
蕭白の美人図では、「悲しい」というよりは、楽しい思い出に浸っているというか、彼女は、完全に過去に生きていた。だから、恨みがましいという気持ちもないし、ただただ、「手紙」を手にし、愛しい人にもうすぐ会える、あの人が帰ってくる…。そういうワクワクした気持ちでいるような気がした。
正気の「喪失度」でいえば、蕭白の方が120%ぐらいだろうか。
松園さんの「花がたみ」はどこか現実を理解しているように思った。
どちらも悲しいが、本人の悲しみが強いのは「花がたみ」だろうが、見ていてツライのは蕭白の方だろう。
私は絵画の専門家ではないので、これは「考察」ともいえないほどの「勝手な感想」だけれど、この「美人図」は事前にノーチェックだったので、そういう意味では衝撃的だった。
この後、隣の国立博物館へ東寺展に行くか、原宿のLINEFRIENDSに行くか迷って、後者を選んでしまった。春休みだし、上野から原宿まで山の手線で30分かかるのは全く考慮していなかった。
到着したら、案の定入場制限がかかっていて、並ぶのが嫌いなワタシは秒で退却。
池袋まで行って、東武の上のスタバで時間をつぶしつつ、軽くおなかにいれておくことにした。
13;30頃になって、移動。
次には「生きている」憧れの人に会いに。
伝説のパーソナリティ大橋照子さんだ。
「大橋照子のドキドキラジオ」というインターネットラジオをされている。
その収録に参加させていただき、その後朗読のレッスンを受けることになっている。
この日は、リスナーの方がお2人見学に来られていた。
おやつの数々。
収録後に「学長」さんからいただいた台湾のサイダー。
シップの味がするらしい。
まだ開ける勇気が無い。
朗読のレッスンは、60分だけれど、本当に濃い時間。
何しろ憧れの人を独り占めできるのだ。
約40年前の中学生だった私が聴いたら、ひっくり返るだろう。
いつもいつもラジオの向こう側にあった憧れの世界。
そして、その憧れの世界を構成していた、有名リスナーの方とも出会うことになるとは。
何より、自分もインターネットラジオを担当させていただいて、50回もの収録をさせていただけるとか。
照子さんと共にマイクの前に座るとか
人生何が起きるかわからない。
関係ないけど、作品がオールカラー印刷の新装版がめちゃくちゃ欲しい…。
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TOMOKOが出来るまで~10代(7)
TOMOKOが出来るまで
10代
高校卒業
特別派手なことをしているつもりはないのですが、何をやるにしても目立ってしまっていたんだと思います。
それまでいた環境にもよるかもしれないですが、「大勢の人に好かれる」という経験(感覚)をしたことが一度もありませんでした。
学校に行っても、「特定の友だち」はいなかったし、それ以外の場所でも引っ越しを繰り返したせいもあり、「長くつきあっている友だち」もいませんでした。
だから、何か「グループを作る」時にはいつも余るわけです。
で、「余った人のグループ」に属することになるんです。
これは、本当に悲しかった。
「私は、必要とされていないんだなー」
と何度も思い知らされました。
かなり年を重ねるまで、「自分は必要とされていない」「自分は好かれていない」がデフォルトでした。
誰も私に興味はないし、誰も私を好きじゃないし、誰も私が必要ではない。
何で生まれて来たんだろう?
何で生きているんだろう?
と思っていました。
中学2年の頃、カッターナイフを手首にあてて
「スパっと行ったら(私のことをいじめる子たちは)どうするだろう?」
とよく思っていました。
露骨に遺書的なものを「名指し」で書いてみようか、とも思っていました。
それでも、思いとどまったのは、痛いのはイヤだし、本当に自分が死んでしまったら、「彼女たちが困る様子」をこの目で見ることができないのも残念(←性格悪い!)だと思ったからです。
「死にたい」と思っていた時期は、振り返ればたったの1年にも満たないかもしれないけれど、当時はそれがすべてでした。
50歳近くになるまで、「自分の人生、良いことなんか起きない」と思っていたんです。
ネガティブが服を着て歩いてるような人でした。
天然なのにネガティブってどんだけ複雑やねん、ってコトですが。
話を戻すと、その統一模試(前の記事参照)の後、学年1位だった彼女は、疎遠になってしまったけれど、高3も後半になってくると、それぞれの進路がほぼ確定しました(就職が決まった人、推薦で進学が決まった人)。
その中で、「TOMOKOはうちらの希望の星だから(受験)がんばって!」と言ってくれる子があらわれて、何かと優しくしてくれるようになりました。彼女は、他の高校を一度中退してうちの高校に転入した、いわゆる「スケバン」的な外見の人で、最初は怖かったけれど、仲良くなると本当に裏表がなくてとても素敵な人でした。
ほぼ9割の同級生の進路が決定する中、最後まで一般入試で進路が決まらなかったのは私を含めたほんの数名でした。
そんな私も、志望校に合格し、(落ちたら浪人だぞ、と反対していた)進路担任に「よくやった!」と握手を求められました。
私は、卒業式で卒業生代表で謝辞を読むことになりました。
副校長に原稿を出すと「(教員や保護者への感謝の言葉が少なく)式典にふさわしくない」と却下されました。「思ってないことはいいたくない」と職員室でごねていると、校長先生が通りかかりました。
副校長は手を焼いて、校長に事情を話すと、(おそらく会議のために外出予定だったであろうにも関わらず)私のために時間をつくって、一緒に原稿を考えてくれたのです。
思ってないことはいわなくていい、ただし式典なので一定の「様式」は必要。形だけの感謝の言葉はいわなくていいけれど、自分の言葉で表現して欲しい、と。時間にしてどれぐらいだったかな。多分、1時間ぐらいだったのだと思います。校長先生とサシで、「謝辞」の原稿を作ったことは、高校時代でも大きな思い出です。
卒業式の日。先生と2人で作った原稿をその先生の前で読み上げる時、「高校時代」よりも「校長先生とのやりとり」を思い出し、涙があふれて来ました。
校長先生も6年間お世話になったこともあり、後から聞いた母の話では「校長先生もちょっとうるっとしたはったよ」とのこと。当然、もう泣くモードになってる会場では、結構しゃくりあげる声が聴こえていました。
自分も謝辞を読めなくなるほどしゃくりあげてるのに、自分の背後でするすすり泣きの声を聴いて、「お、イイ感じやん」とほくそ笑む余裕は持ってる、ちょっとイヤラシイヤツでもありました(笑)
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TOMOKOが出来るまで~10代(6)
TOMOKOが出来るまで
10代
高校時代続き
大体、「やることなすこと、全部裏目」なんですが、これはなんとなんと!!!
40代ぐらいまで続くんです!!! ある意味、立派やな(違)
高3だったかな。
夏休みの前だかに、某出版社主催の統一模試の団体受験(自分の高校で受けれる)がありました。
これって、普段私が予備校で受けてる模試より、かなり難易度が低くできてるんです。
あ、ちなみに私の学内の(定期試験の)成績は、大体10位から13位ぐらいでした。
ものすごーーーーーーくイヤミですが、定期テストの対策ってめちゃくちゃ苦手だったんです。暗記が特にできなくて。どうやって勉強したらよいかわからなくて、定期テストの前は、勉強したくなくて早く(午後9時とか)に寝ちゃっていました。
なので、穴埋め問題とか正答できないですよね…(;^ω^)
そんな私が、この旺文社の模試で1位を取ってしまいました。
しかも、2位とは大差(30点とかだったかな)をつけて。
で、その2位だった子は、定期試験でいつも1~3位に入っている子でした。
それまで彼女とは、同じように「一般入試で進学を目指す」もの同士、結構仲良くしていたのです。
私も1人じゃない、と思って心強かったし、彼女も私のことを変に「出来る人」扱いしないから、すごく居心地がよかったのです。
ところが、この模試の発表があってから、彼女の態度がおかしくなって、避けられるようになり、結局卒業までほとんど口をきいてくれなくなってしまいました。
うーーーーーむ。
卒業の時にメッセージノートみたいなの書くじゃないですか。
あれに、中学時代のリーダーグループの子(高3で同じクラスになった)からメッセージもらって、「いつも成績負けたくなくて、定期試験必死にがんばってた。はりあって、いじわるしてごめん。一般入試で合格するってすごいね。おめでとう!」とあったのを見て、「そーだったのかーーーーーー!!!」とそこで、氣づく天然っぷり。
それを見て、その「いつも定期試験で1位」だった子は悔しかったのかな…なんて思ったのでした。
自分だけ張り合う、って余計に悔しいもんね。
私もものすごく負けず嫌いなので、よくわかる。
けど、「誰か他の人と張り合う」ってコトがあまり得意じゃなくて…。
勝てないな、と思うとあっさり身を引くし(中学の時のバレエとか)、剣道みたいに「誰かと闘う」ことがあっても、本当の意味での「闘い」の相手は、「自分自身」だったりするから、「誰かに負けて悔しい」っていう気持ちにならないんですよね…。
そういうところもまた、人によっては「憎たらしい」と思われたりするのかもなー、なんて思っています。
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TOMOKOが出来るまで~10代(5)
TOMOKOが出来るまで
10代
高校時代
1学年30名ほどだった中学と違い、高校に入ると1クラス40名ほど。1学年が11クラス(うち1クラスは家政科)(当時)と、人数が増えた分、濃密だった人間関係が少し楽になるかな、と思ってほっとしたのも、つかの間。
それほど大きな問題はありませんでしたが、やはりあまり居心地がよくない状態が続いていました。
中学の終わりには、ほぼ不登校のような状態になり、転校も考えたのですが、なんとか卒業し、高校に進学することになりました。
この頃には、おそらく当時の「日本短波放送」で、大橋照子さんの「ヤロメロ」を聴いていた気がします(…高校時代だったかも)。
また、中学2年から自転車で20分ほどのところにあるスポーツセンターに週2回剣道を習い始めました。
照子さんの「ヤロメロ」と、スポーツセンターでの剣道教室は、私にとっては「正常な呼吸ができる貴重な場」でした。
学校でツライことがあっても、剣道教室ではそのことを知ってる人は誰もいないし、先生も他の人と同様に扱ってくれるので、「正気を保て」ていたように思います。
高校になると、クラスの人数が増えて、「他の人」への関心が(中学時代に比べて)薄くなったように感じました。
高校1年の2学期の進路調査で大学進学の希望を出すと、当時の担任に呼び出され、予備校の冬期講習会に参加するように、とパンフレットを渡されました。
(この時の担任とこの予備校にはこの先も関わりを持つことになるのですが、それはまた後で)
それまで学習塾というものに行ったことが無かった私は、このときの担任に説得され、初めて「予備校」に行くこととなります。
確か、冬期講習では英語と古文の授業を取ったのですが、最初の授業の衝撃は今も忘れません。
英語の授業も、古文の授業も高校の教科担任で、古文の担当はなんと私に受講を勧めた担任その人でした。
高2からは、年間で通うことになりました。
中学を卒業する前に、校長先生に呼び出され「高校も学業奨学生として、授業料を免除します」という「通告」を受けました。
またか…(;^ω^) という氣持ちの一方で、私立高校で少なくない授業料が免除(返還義務無し)になるということは、親が喜ぶかな、という氣持ちもありました。
予備校に通うと、全国統一模試も受験することになります(まぁ、任意ではありますが)。うちの高校は、もともと進学希望者より就職希望者もかなりいて(当時)。そのうち、「四大を一般入試で受験」しようとする人は、片手ほどしかいなかった(当時)のです。
そういうところなので、全国模試での私の成績ったら、さんざんなわけで。大体半分より少し下。つまり「普通よりちょっと下」なんですよね。
ところが、高校では「学業奨学生」であり、クラスも「進学(希望)クラス」、そしてその中でも「一般入試をめざす」人ということで、クラスの中では「勉強できる人」扱いになるわけです。このギャップにまた苦しみます。
氣にしなければいいのに、「そんなことないよ」って必死に否定しちゃうわけです。
でも、それって…(;^ω^)
ここでも「ど天然悪意の不在」っぷりを絶賛発揮しちゃってました。
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