TOMOKOが出来るまで~10代(5)
TOMOKOが出来るまで
10代
高校時代
1学年30名ほどだった中学と違い、高校に入ると1クラス40名ほど。1学年が11クラス(うち1クラスは家政科)(当時)と、人数が増えた分、濃密だった人間関係が少し楽になるかな、と思ってほっとしたのも、つかの間。
それほど大きな問題はありませんでしたが、やはりあまり居心地がよくない状態が続いていました。
中学の終わりには、ほぼ不登校のような状態になり、転校も考えたのですが、なんとか卒業し、高校に進学することになりました。
この頃には、おそらく当時の「日本短波放送」で、大橋照子さんの「ヤロメロ」を聴いていた気がします(…高校時代だったかも)。
また、中学2年から自転車で20分ほどのところにあるスポーツセンターに週2回剣道を習い始めました。
照子さんの「ヤロメロ」と、スポーツセンターでの剣道教室は、私にとっては「正常な呼吸ができる貴重な場」でした。
学校でツライことがあっても、剣道教室ではそのことを知ってる人は誰もいないし、先生も他の人と同様に扱ってくれるので、「正気を保て」ていたように思います。
高校になると、クラスの人数が増えて、「他の人」への関心が(中学時代に比べて)薄くなったように感じました。
高校1年の2学期の進路調査で大学進学の希望を出すと、当時の担任に呼び出され、予備校の冬期講習会に参加するように、とパンフレットを渡されました。
(この時の担任とこの予備校にはこの先も関わりを持つことになるのですが、それはまた後で)
それまで学習塾というものに行ったことが無かった私は、このときの担任に説得され、初めて「予備校」に行くこととなります。
確か、冬期講習では英語と古文の授業を取ったのですが、最初の授業の衝撃は今も忘れません。
英語の授業も、古文の授業も高校の教科担任で、古文の担当はなんと私に受講を勧めた担任その人でした。
高2からは、年間で通うことになりました。
中学を卒業する前に、校長先生に呼び出され「高校も学業奨学生として、授業料を免除します」という「通告」を受けました。
またか…(;^ω^) という氣持ちの一方で、私立高校で少なくない授業料が免除(返還義務無し)になるということは、親が喜ぶかな、という氣持ちもありました。
予備校に通うと、全国統一模試も受験することになります(まぁ、任意ではありますが)。うちの高校は、もともと進学希望者より就職希望者もかなりいて(当時)。そのうち、「四大を一般入試で受験」しようとする人は、片手ほどしかいなかった(当時)のです。
そういうところなので、全国模試での私の成績ったら、さんざんなわけで。大体半分より少し下。つまり「普通よりちょっと下」なんですよね。
ところが、高校では「学業奨学生」であり、クラスも「進学(希望)クラス」、そしてその中でも「一般入試をめざす」人ということで、クラスの中では「勉強できる人」扱いになるわけです。このギャップにまた苦しみます。
氣にしなければいいのに、「そんなことないよ」って必死に否定しちゃうわけです。
でも、それって…(;^ω^)
ここでも「ど天然悪意の不在」っぷりを絶賛発揮しちゃってました。
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